岩国に行ってきた

1昨日、1泊で岩国に行ってきた。1昨年飛行艇会が再発足し今回が2回目である。2年前の第1回目は例年通りチェンマイにステイ中だった。帰国すると留守中に案内状が来ていて、それは明日だというので止めた。今年は妻の体調不良でチェンマイ行きはキャンセルしたので行くことにした。
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 岩国は米軍の基地で今は米海兵隊が駐留し、主に空母搭載の戦闘機部隊が展開している。現在の機種は海軍と同じF/A-18である。上陸作戦をやる場合、地上支援をする攻撃機だ。Aはattackの意味、Fはfighter。F/A-18は戦闘機としても攻撃機としても使える機体だ。航空自衛隊の次期戦闘機はF-35に決まったがこのF/A-18の最新型スーパーホーネットも候補の一つだった。


兵員の輸送は普天間にいるヘリコプターと強襲揚陸艦からの上陸用舟艇、今はホバークラフトが行う。そのヘリに替わるのがオスプレーだ。

基地には昔から海上自衛隊が居候している。日米地位協定2-4-Aで大家は米国で日本側はテナントというわけだ。ちなみに厚木は逆で2-4-B、つまり日本の基地である。

 海上自衛隊の方は現在、偵察・艦隊支援航空隊、航空救難航空隊、掃海航空隊の3隊がいて、EP-3電子偵察機、US-2飛行艇,MH-53ヘリなどを運用している。

 また基地は騒音公害解消のため沖合いを埋め立て、滑走路を移設することで長年工事をしてきたが、既に完成して騒音公害はなくなった。
かって朝鮮戦争時は出撃基地として兵士が町に溢れ、景気が良かったと当時を知るタクシーの運転手からよく聞いたものだ。またベトナム戦争時は後方基地として海兵隊の隊員が仮設の兵舎に住むなど賑わった時期もあった。
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 しかし駐留の縮小、町の大企業の工場なども閉鎖されたことなどで町もすっかり寂れてしまった。
普天間配備のオスプレーは今岩国にいるが、私の考えでは普天間基地は辺野古ではなく岩国に移転するのが最もいいと思うのだが、現民主党政府は岩国には行かせないと真っ先に言ってしまった。岩国はもともと海兵隊の基地だから移転は実に簡単だ。

 何のために長い持間をかけ大金をかけ埋め立てをし、騒音公害を無くしたのか?全く理解できない。沖縄の負担を減らすことにもなり、公害もない、町も再び賑わう、いいことずくめではないのか。沖合い移設で町寄りの土地は返還するため、今新しい施設建設がどんどん行われている。

抑止力というが、海兵隊を運ぶ米海軍の船はもともと佐世保にいるわけだから、近くの岩国に行って兵士と飛行機を乗せればいい。さもなければ搭乗員以外の必要な兵士はハイウェイを通って佐世保に行くか、長崎空港へ輸送機で行けばよい。ヘリでもオスプレイでも佐世保へ飛びそのまま空母といってもよい揚陸艦に着艦して1時間程度で搭載を終えることが出来る。

在沖海兵隊全部が移転するわけではないから、抑止力特に台湾有事に影響は少ないし、朝鮮半島有事には逆に抑止力は高まる。またインド洋、中東有事への米軍の展開も今日直ちにという事態は考えにくいから影響することは少ないといえる。

鳩山は首相当時国外少なくとも県外と言ったが、最も適地である岩国を真剣に検討したのかどうか極めて疑わしい。

さて今回行ってきての感想を以下に述べよう。

 オスプレーは確かにいた。飛行止めを食っているので滑走路から最も遠い、昔のエプロン地区に1機がそれぞれ「人一人」文字で12機が並んでいた。あいにく雨で視界が悪くこちらはバスの中、写真は取れなかった。残念である。人一人とは?、、、3枚羽のローターを人の字にしている、そしてローターは翼の端に一対だから人一人という文字になるというわけだ。このままローターを回すと地上を叩くことになるから、エンジンナセルを上向きに傾けローターは水平よりもやや前方に傾けて短距離離陸するわけである。着陸は、ローターは水平、ヘリと同じくホバリング状態にして行う。写真や映像でしか見たことがなかったから近くで見ると迫力がある。飛行するのを見たかったがご存知の通りでそれはかなわなかった。
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 巡航速度は230ノットだから約430km/時でヘリの2倍だ。行動半径は約1,000kmでヘリの6倍以上である。民主党の石井議員が国会で言っていたが、ヘリが主力の海兵隊の輸送能力が飛躍的に向上することは抑止力が大いに増すのであるから日本にとってもありがたいことなのである。
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 ところでオスプレーは一時、岩国で運用中の救難飛行艇US-1に代わるものとして海上自衛隊が採用を決めていた。しかし米海軍の開発が事故などで遅れ、US-1の除籍に間に合わず、穴が開くということで今配備中の後継機US-2の開発に踏み切ったという経緯がある。仮に海上自衛隊が既に採用していれば今回のような問題は起きなかったことは確かだ。

 さて新型のUS-2飛行艇の体験飛行を希望していたところそれは叶えられた。実際に搭乗してみてUS-1Aからの性能向上を実感することが出来た。特に離水距離の短さには驚嘆した。約5秒だった。新型エンジンのパワーと6枚プロペラの威力であろう。これで洋上での離水操作が楽になったのは大きい。私も経験があるが洋上での離着水は肝が冷えるものである。洋上では必ず波とうねりがあり、離水では波、うねりに乗り上げその弾みでジャンプする。ジャンプすれば約40トンの飛行艇は水上に落下する。その衝撃は並ではない。翼を水平に保ち次ぎかその次の波でジャンプしてそのまま離水して船から飛行機になる。ざっとこんなところである。着水も同じで先ずジャンプは付き物だ。
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 陸上の滑走路での離着陸などと比べようがない難しい操作に恐怖が加わる。やったものでなければパイロットでも理解は難しい。凸凹の滑走路がしかも動いている。その上に降りると考えてもらえばよい。

一方与圧キャビンの採用などで離水時の振動が極端に少なくなっており乗り心地も快適そのものだった。しかし旅客機のように静かではない。現在US-1とUS-2は2対5である。早く全機US-2に替わることが望ましい。

この飛行艇は水陸両用だから陸上に離着陸できる。離陸距離約150mである。ジェット旅客機だと1,000mぐらいだから想像できるだろう。ともかく45トンの機体があっと言う間に飛び上がる感じである。詳しい説明は省くが各種の高揚力装置のおかげである。その一つは境界層制御といって極低速時(約90km/h、ジェット旅客機で着陸速度は200km/h位)、翼面の気流の剥がれを防ぐため高速の空気を大角度(60度)フラップに沿って流すため、別のエンジンを背中に1基積んでいる。このエンジンはヘリ1機を飛ばすことが出来る。因みにこの大角度フラップにプロペラの後流を当てて大きな揚力を得ているのでプロペラは必須でターボファンエンジンでは無理である。

ではなぜこのような極低速を実現したかという理由である。物体の運動力はF=MV*Vである。つまり速度Vの二乗に比例する。凸凹の滑走路に車輪のない胴体をぶつけるわけだから速度が大きければたちまち機体は破壊する。そのため可能な限り速度を小さくするわけである。しかし速度が小さいと今度は安定性が損なわれ、操縦も難しくなるというわけだ。安定性と操縦性確保のためにはまた別の手が考えられているがパイロットにも高度の技量が要求される。

現役のパイロットに聞いてみた。パイロットはUS-1とUS-2に分けられている。救難のための待機は順繰りに1と2と代わっているそうだ。

 経験のない新人パイロットはUS-2の方に配置されるのだそうだ。操縦のやさしさばかりでなく、計器類がデジタル表示になっていて、アナログ表示のUS-1とは全く違う。今日はUS-1、明日はUS-2というわけにはいかない。なぜなら錯覚によるパイロットミスを起こす可能性があるからだ。
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この飛行艇は40年も前、もともと対潜水艦戦用の飛行艇として開発された。私はその実験中に陸上機のパイロットから転換して配属になった。アイデアは良かったが、新式の陸上型対潜哨戒機が出現し23機生産したところで生産は打ち切られた。その救難改造型がUS-1、その改良型がUS-2である。23機の対潜飛行艇PS-1のうち3機、US-1 20機のうち1機が事故で失われた。オスプレーの事故率などよりはるかに高い。

48柱の英霊の名が基地内の慰霊碑に刻まれている。私の部下だった者の名前もある。
飛行時はなんでもなかったのに慰霊碑「雄飛」への献花が行われる時、雨になった。涙雨だ。久しぶりに冥福を祈ってきた。

夜は全国から集まった昔の仲間たち、製作会社の新明和の飛行艇製作に携わったOB達そして基地の司令など現役の指揮官達との懇親会があった。中には30年ぶりにあった仲間もいたが、基地には5,6年顔を出さなかったので知らなかったが、何人も特に先輩が亡くなっており驚いた。総勢110名でホテルの宴会場は超満員だった。次回は3年後だそうだ。 

福岡在住の昔のパイロット仲間がいて、前回は同じ便に偶然乗り合わせ話が弾み退屈しなかったが今回彼は欠席だった。どうも体調が悪いらしい。仲間達皆後期高齢者だ。当たり前であろう。一応元気で出席できたことに感謝したい。

この飛行艇会の会長は私の3期先輩で大変お世話になった人である。この救難航空隊の初代司令で後に海上自衛隊航空部隊の司令官に出世した人である。私は初代の副長(副司令のことで海軍ではこう言う。例えば艦長の次を副艦長とは言わず副長というが如し。なお私は4代目の司令を勤めた)だった。今回は良く知っている奥様と一緒に見えていたが、肝臓を患い酒がまったく飲めなくなっていた。大変驚いたし、残念でならなかった。昔はよく家に招かれ酒豪同士痛飲したものだった。

今回の懇親会が終わるとき、君と2次会に行けなくて申し訳ないと言われた。そう言われてどこにも行く気はせずホテルに帰って寝てしまった。

 朝早く起き、JRで徳山へ、徳山から博多行きの高速バスに乗る。JRでは長崎に帰る1期後輩と徳山まで一緒で退屈しなかった。台風16号でどうかと思ったが、なんと言うことはなく時間通り博多バスセンターに着いた。 以上面白くもない話にここまで付き合っていただき感謝します。

 英語で書こうと思ったが、これだけの長文やはり技量オーバーであるのであきらめた。今週の英会話教室ではそのエッセンスを話そうと思っているから、その原稿をアップするつもりである。

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